こんにちは。
ひさしぶりにブログを更新します。
今日は、5月5日、こどもの日。
とても良いお天気でしたので、ご家族で出かけられた方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
鳥取県弁護士会では、子どもの権利委員会のメンバーが中心となって、
「子どもの権利条例」 の実現に向けて取り組んでいます。
今日は「こどもの日」にちなんで、
「あったらいいな!『子どもの権利条例』」というテーマでシンポジウムを開きました。
熊本学園大学の堀正嗣教授をお迎えし、
イギリスにおける子どものアドボカシー制度について、ご講演をいただきました。
いじめや体罰が社会問題となっている昨今ですが、
こうした権利侵害をいち早く見つけ出し、子どもが元気にくらせるようにするには、
まずは大人が子どもの声にじっくり耳を傾けるシステムをつくることが重要です。
子どものアドボカシーとは、
大人に意見を聞いてもらい、子どもに関係する決定に影響を与えるように支援するものです。
いわば『マイク』の役割です。
イギリスでは、2002年にアドボカシーサービスの提供を自治体に法律で義務づけました。
子どもの権利条約によって、
子どもには、子どもに関係する決定について意見を表明する権利が保障されています。
大人に意見を聞いてもらい、考慮してもらう権利が保障されています。
これを子どもの意見表明権、あるいは参加する権利と呼んでいますが、
これは、決して大人が子どもの言いなりになることを意味するものではありません。
また、子どもの勝手気ままを許すものでもありません。
しかし、大人が正しいとすることを一方的に子どもに押しつけるのではなく、
子どもの意見も聞いて考慮するということが重要なのです。
これによって子どもは自分が家族や地域社会の一員であることを自覚し、
正しい権利行使を学びます。
アドボカシーは、子どもの意見表明権を支援するものですが、
これによって子どもは正しい権利行使を学び、家族や地域社会の一員として、
ルールを守って行動することを学びます。
いじめや体罰などの権利侵害についても、子ども達が自ら考え、対策を講じるきっかけになるでしょう。
日本では、大人に従うことばかりを強いられてきた子どもが、20歳になったとたんいきなり大人として扱われます。
しかし、従うことばかりを強いられてきた子どもが、いきなり大人として正しい権利行使ができるようになるでしょうか。
いきなり社会の一員ですと言われても、戸惑うばかりではないでしょうか。
従うことばかりを強いられてきた子どもは、自分が大人になった途端、今度は子ども達に従うことを教え始めます。
そして、自らの未熟な権利行使に気づきません。
この封建的な繰り返しにどこかで歯止めをかけなければ、いつまで経っても自律した個人は育ちません。
自ら考えることができず、自分より強い者の価値に依存し、自分より弱い者の価値を支配するようになります。
会社の会議においても、発言するのは上司や偉い人ばかり、という状態にならないでしょうか。
発言せず、質問せず、偉い人が決める正解だけに従う人材がうまれ、
命令されればその通りに動くけれども、
命令されなければ何をして良いかがわからないという人材がうまれるのではないでしょうか。
見ざる、言わざる、聞かざるが通用するような、変化に乏しい封建社会では、
古い価値を踏襲する従順な子どもを育てることに意義があるでしょう。
しかし、現代は、これを許さない状況になっているのではないでしょうか。
有為な人材を育てるにはどうすべきかを、私たち大人は考えなければなりません。
つらつらと個人的な見解を述べてしまいましたが、
ここで、ふと山本五十六の言葉を思い出しました。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。