松江市で開かれた篤志面接委員研究協議会に参加しました。
広島矯正管区管内の篤志面接委員が一堂に会し、
篤志面接活動の効果的な指導方法について研究討議を行いました。
午後1時から午後5時まで、ホテル一畑で行われました。
長年にわたり篤志面接委員として活動してこられた方への表彰式や、
刑務所や少年院で活動している篤志面接委員の体験発表がありました。
また、「古代の出雲~神話と史実のはざまで~」と題して、
元島根女子短期大学学長の藤岡大拙先生の講演がありました。
みなさんは、代表的な出雲神話を5つ挙げられますか?
国引き
黄泉の国
ヤマタノオロチ
稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)
国譲り
の5つだそうです。
残念ながら、私は2つくらいしか出てきませんでした。
藤岡先生のお話では、
戦後の教育改革で神話教育がなくなったのだそうで、
昭和20年以降に生まれた世代は知らない人が多いようです。
昭和45年に発表された梅原猛氏の論文によれば、
伊勢に新しい神の根拠地ができた後、
大和地方の古い神々を流す場所として、出雲が選ばれたということでした。
なぜ、出雲の地が神流しの地に選ばれたかというと、
新しい神の根拠地が日の出の美しい伊勢であったので、
これに対する神の流刑地は、
日没する(ぼっする)ところでなければならなかったのです。
日出るところに対する、日没する(ぼっする)ところというわけです。
ところが、後に、梅原氏の持論の根拠が揺らぐことになりました。
出雲地方からたくさんの銅剣や銅矛、銅鐸が発見されるに至ったからです。
神の流刑地、日没する(ぼっする)ところとしてではなく、
かつて、出雲は、とても栄えていたと考えられ、
なにか特別な意味合いを持っていたと考えられるのです。
梅原氏は自説に固執することなく、過去の見解が誤りであったことを、
すんなりと認める論文を書いたそうです。
権威のある人が過去の間違いを認めるというのは、なかなかできないことです。
梅原氏の公明正大な態度を藤岡先生はたいへん高く評価しておられました。
藤岡先生のお話は、とてもわかりやすく、たいへん興味深いものでした。
さて、
写真は、湖畔から夕暮れ時の宍道湖を撮ったものです。
宍道湖の夕焼けはとてもきれいでした。
日没する(ぼっする)ところの美しい風景をながめながら、
こんなにきれいな場所なら、
流された神様も、案外、贅沢な時間をすごしていたのかもしれない・・・
と思いました。