弁護士 駒井重忠Blog

弁護士法人 菜の花

NHK「虎に翼」をみて

NHKの朝ドラ「虎に翼」をいつも楽しみに見ています。

先日の放送で、朝鮮国籍の被告人が放火の疑いで起訴され、被告人の兄弟に宛てた手紙が検察官から証拠として提出される場面がありました。

検察側の翻訳では被告人が放火を自認する内容となっていたのですが、佐田裁判官の友人がこれを別の意味に翻訳したことをきっかけに、佐田裁判官の働きかけで弁護側が他の翻訳を提出し、無罪となりました。



ですが、これはドラマです。

実際には、裁判官がみずからこれほどまで事案解明に乗り出すことは、ほぼないと言って良いです。

刑事訴訟法では、当事者主義と言いますが、原則として、証拠の提出は当事者(検察・弁護)の責任で行わなければなりません。

裁判官が自らの職権で証拠を取り調べることは、職権主義と言うのですが、原則として(いや、滅多に)行われません。

 

佐田裁判官が当事者双方に、手紙の翻訳に関する立証の機会を与えたことは、法律上も間違いではないです。

検察官と被告人との間には立証能力に格差がありますから、被告人側の防御能力を高める方向での介入は、刑事訴訟法の当事者主義に反するものではありません。

ですが、実際には、ドラマの陪席裁判官が裁判官室でつぶやいた「ばかですよね。」という言葉の方が、より現実的な印象を受けます。

手紙の翻訳に疑問を抱いて、自らの友人を呼んでまで翻訳させることのほうが、めずらしい。

実際の裁判では、弁護側が自主的に別の翻訳を出さない限り、ドラマの陪席裁判官の当初の心証どおり有罪になっていたのではないでしょうか(個人の感想として)。

 

あのドラマの場面は、裁判という制度のもつ「危うさ」を物語っていると思います。

裁判はいつも正しい、というわけではありません。

あの場面を見て、「あーよかった」では済まないのです。

 

死刑制度に反対する論者の多くは、裁判の持つ「危うさ」を前提にしています。

裁判には誤判が付きものだからです。