弁護士 駒井重忠Blog

弁護士法人 菜の花

菅原道真と梅の花

梅の季節となりました。

梅で有名なのが天満宮です。

天満宮といえば、菅原道真です。

道真は、代々学者の家系であった中流貴族の家に生まれました。幼少の頃から学問に秀で、わずか5歳で和歌を詠んだと言い伝えられています。そして、学者としては最高位であった文章博士(もんじょうはかせ)となり、讃岐国の長官として国を立て直すなど善政を行いました。道真は、その類い希な才覚を宇多天皇に認められ、その後、政治の中心で活躍するようになります。894年には遣唐使の廃止を建議し、後の国風文化に大きな影響を与えたとされています。

道真は、醍醐天皇によって右大臣の地位にまで上りました。道真の娘は、醍醐天皇の弟である斉世親王(ときよしんのう)の妻であったそうです。ところが、当時、左大臣であった藤原時平は、この関係性を利用して、道真の失脚をねらいます。道真が醍醐天皇を廃し、斉世親王を天皇に立てようとしているといううわさを醍醐天皇に話したのです。謀略によって濡れ衣を着せられた道真は、醍醐天皇の命令で、突如、九州の太宰府に左遷されました。

道真が京を離れる際、自宅にあった梅の木を見て詠んだとされる有名な歌があります。

「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞという歌です。

私も春を告げる梅の花が好きなので、この歌が好きです。

実は、この歌について、私なりの解釈を持っています。ある時、ふとその解釈が下りて来たのですが、私自身は気に入っています。

私は、道真が、この大好きな梅の花に、自分の姿をなぞらえたのだと思っています。つまり、この梅の花は、道真自身で、花を咲かせるのは道真自身だというのが私の解釈です。東風(春風)は梅の花を咲かせる風です。つまり花を咲かせるきっかけです。

再び必要とされる時が来る。その時が来たならば、また花を咲かせてみせよう。今は主がいないからといって、花を咲かせることを忘れてはいけないぞ。

このように、自分を梅の花になぞらえて、誓った歌ではないだろうかというのが私の解釈です。

道真は、大宰府では厳しい生活を強いられながらも、皇室の安泰と国家の平安、また自分の潔白をひたすら天に祈って誠を尽くしたそうです。

今では学問の神様となり、全国各地の天満宮で祀られています。道真の心は、日本人ひとり一人の心となって、今日も梅の花を愛でているのではないでしょうか。