弁護士 駒井重忠Blog

弁護士法人 菜の花

同じ釜の飯

鳥取中央ロータリークラブの役員として参加したとある協議の場でのこと。

それは対外的な交渉の場ではありましたが、先様の要望はなかなかに厳しい内容でもあり、これに応じるにはそれなりの覚悟が必要なものでした。

先様の要望に応じるかわり、といっては何ですが、なにかこちらにも得られるものがないだろうかということで、「例えばクラブに入会していただくというのはどうでしょうか。」と、会長が意外に思い切った提案をされたわけです。

すると、先様のお一人から、ずばり「クラブに入会することで、私達にどういうメリットがあるのでしょうか?」と尋ねられました。

会費を支払ってまで入会するメリットがないということを仰りたいのだろうと推察したのですが、情緒的な面はさておき、なるほど正直な質問であり、これにはきちんと答える必要があると思いました。

横から口を差し挟むかたちになりましたが、私は次のように答えました。

「初対面同士がお互いに要求を述べ合うよりも、普段から顔を合わせておくことで、お互いの立場をよく理解できますし、そこに信頼が生まれるのではないでしょうか。もちろん、それをメリットと感じるかどうかは様々だと思いますが。」と、大要、そのような内容であったと記憶しています。

その日、さらに翌日、いよいよ風呂に入りながらも、くどくどとそのことを考えておりました。

毎週、クラブの仲間とともに昼ご飯を食べ、クラブの歌を歌い、卓話を聞く。そして、月初には四つのテストという行動規範を唱え合う。

そこに何が生まれるのか?

 

ロータリークラブの目的の一つに、親睦があります。

様々な業種の職業人が集まり、互いに親睦を深める。

皆、誰しも、良いときもあれば、悪いときもあります。いつもいつも健康でいられるわけでもありません。うれしいことも、腹の立つことも、悲しいこともあります。

同じ釜の飯を食うと言いますが、そういうリアルな苦楽をともに過ごすことによって、互いの連帯感や信頼感が生まれます。

それが親睦だと私は思います。

なにも、互いに気の利いたことを言い合う必要はありません。とりつくろう必要もなく、好かれようとする必要もありません。肩で風を切る必要も無い。

仲間としてともに過ごすという事実が生み出す連帯感。

それは数字で量的に示すことのできない、質的な価値だといえます。

 

経済人が儲けを考えるのは当然ですし、数字を大切にすることはもちろん大事なことです。

財務諸表を読み解き、数字を上げるのはたいへん立派なことです。

しかし、数字にばかりとらわれると、大切な何かを失うことになりかねません。

経済を優先する余り、失っているものはないでしょうか。

 

IT技術が爆発的な収益を生む一方で、リアルな職人の技術が衰退しているようにも見受けられます。

自分にふさわしい仕事が無いと言って嘆く方がおられる一方で、後継者不足のために技術が途絶えたり、店を閉めるところもあります。

YouTuberになりたいという子どもを大人はどう見るのでしょう?

こうした職業が、はたしてリアルな職業と単純に比較できるものといえるのでしょうか。

爆発的な経済的利益は、人や自然への貢献に真に比例しているのでしょうか?

おそらく、これを肯定される方は多くないはず。

皆さんもご存じのとおり、経済的利益は必ずしも公平ではありません。

高額なものが真に価値のあるものとは限らないし、真に価値のあるものが高額とは限りません。

 

お金では買えない価値がたくさんあります。

都会にはお金で買えるものがたくさんあるようにみえますが、お金で買えないものはどうでしょうか。

地方には、案外、お金で買えないものの方が多くあるように思います。

 

おかしな例えだと笑われるかもしれませんが、巨大な建築物はお金で作ることができます。

しかし、鳥取砂丘や久松山、つまり巨大な自然はお金で作ることができません。

人と人との信頼も、お金で買うことはできないと思います

 

新型コロナウィルスによって、これまでの社会のあり方が変わろうとしているのであれば、今一度、経済的利益(お金)ばかりを優先した人々の暮らしというものを、すこし見つめ直してみる良い機会だといえるのではないでしょうか。